2017年5月 今月のことばを掲載しました。

2017/04/28

 私には,卒業以来ずっと継続して年に2度ほどは会う,中学時代の恩師がいます。中高一貫のキリスト教主義の学校での,中学3年間の担任の先生です。告白すると,中学時代,先生に深く心酔していたというのではないのです。母親が面談で,先生から「家に遊びに来るように伝えてください」と言われたそうですが,それを聞いて私は「そんな,とんでもない」と思ったものです。その後,大学生になって,友人に誘われ,先生のお宅を訪ねました。そこでの会話は,世界や社会の問題を縦横に語るもので,そのような視点に欠けていた私にはとても新鮮で,驚きでした。先生の手料理も相まってとても楽しい時間でした。そして,今に至るまで,ことあるごとに,何か話したくなると,ひとりでも先生とお会いしてきました。
 その先生が10年ほど前退職される時,生徒への最後の言葉として「礼拝に出てください。礼拝は人を強くします」と言われたそうです。私は少し驚きました。彼女はキリスト教者ですが,私が生徒だった時もそれ以降も,礼拝やキリスト教について話されたことが一度もなかったからです。それを聞いた時は,「へー,先生,そんな事言うんだ」ぐらいの気持ちで,その言葉を受け止めていました。
 昨年,宗教主任となり,比較的頻繁に礼拝に出席するようになって,ふとこの言葉が頭に浮かび,「人を強くする」の意味が私なりにわかった気がしました。礼拝では,教員,牧師,学生,さまざまな人がお話をされます。短い時間ですが,一生懸命考えて,伝えようとされます。音楽が演奏されることもあります。ダンスをされた先生もおられました。礼拝で出会う人たちの姿を通して,人が日々たとえ小さくてもひとつずつ努力しながら,考えながら生きていることに気づきます。信仰をもっているかどうかとは関係ありません。
 学生生活の中では,何かが原因で,気持ちが沈み,落ち込んでしまうこともあるでしょう。そういう弱った時に,自分の弱さが孤独なものではない,自分の小さい努力が意味あるものと思える,続ける意欲が湧く,それが礼拝にあるのだと思いました。そういう意味で,「礼拝は人を強くする」と私の先生は言ったのだと思いました。
 1年次生のときは,聖書の授業を通して礼拝に出席することでしょうが,それ以降も,特に自分がちょっと弱ったと思った時には,意識して礼拝に行ってみてください。1回だけ出て判断せず,少しの間続けてみてほしいと思います。
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