2016年11月 今月のことばを掲載しました。

2016/10/31

 8月半ばだったか、遅い時間につけたテレビで、加藤周一が17歳(1937年)から22歳(1942年)にかけて書き綴った「青春ノート」の内容が紹介されていました。この番組を見たことがきっかけで、太平洋戦争中が舞台の加藤の小説「ある晴れた日に」を読み始めました。冒頭、主人公は上野から高崎へ向かう混んだ列車の中で、アメリカ軍の空襲にあいます。この部分を読んだ直後、私は榛名山麓の社会福祉法人新生会で行われているワークキャンプに参加するため、同じく高崎へ行く新幹線に乗りました。この偶然の中、70年前には列車に乗っていると空爆される状況にいた日本を思いました。時は流れ、今爆撃される不安はもちろんありません。しかし、一方、二度とそういうことにはならないという絶対的な確信、私が大学生の時にはもてていた確信が揺らいでいる気がします。

 大学生の加藤周一はそのノートにフランスのロジェ・マルタン・デュ・ガールの小説「チボー家の人々」の一部を翻訳していたそうです。この小説は1937年にノーベル文学賞を受賞しているので、タイムリーな対象といえます。加藤の翻訳を引用します。

 大事件は何時も前ぶれなしに、突然平和な何ごとも予期していない社会を混乱の中に投げ込む。それまでは時は
 いつもながら静かに、戦争の前の日も、空の美しく晴れ、子供たちのたわむれている街の上を流れ去る。 

 私が大学生だった頃、「チボー家の人々」の「1914年夏」を読んで、「戦争というのはこうやって普通の生活の中で、自然と始まるのだ」と思った、まさにその部分です。加藤周一は続けてノートにこう記します。「チボー家の人々を読みながら、しきりに現代を思い、歴史は繰り返すの感を強くした。1941年は1914年にいかに似ていることか。」

 1914年は第一次世界大戦が始った年、1941年は12月に日本軍が真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争を開始した年です。2016年はまだ違うと思いますが、果たして、2018年はあるいは2020年は、1941年に似てしまわないだろうか。戦争は一足飛びに乗っている列車が爆撃される状況にはなりません。この小説には戦争が「南の島の出来事」だった時期の「平和」な光景も描かれています。油断してはいけないと強く思います。ここに、今年度の宗教部の年間テーマ「世界の平和を祈り、世界の平和をつくる」の意義があります。
 静かに時が流れ、どのように戦争が平和な日々にやってくるのか、私たちは知って、知恵を付けておく必要があります。ワークキャンプの参加学生は、新生会で行われた講演会で、原田奈翁雄(なおお)氏から戦争そして平和についての話を聞く機会をもつことができました。
 今、大学生である皆さんが、現代を思い、考え、1941年に似せないための判断をしていくときです。
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