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新島八重×同志社女子大学

八重の生涯

第III期 日本のナイチンゲール―会津魂再び

襄の最期を看取った後、八重は同志社とはやや距離を置き、広い邸にお手伝いさんも置かず、炊事洗濯はもちろんのこと、身の回りのこと一切を自身でこなしています。襄の好きだった庭の梅を眺めるのが楽しみの一つでした。八重には「桜」ではなく「梅」の方が似合うのではないでしょうか。もちろん同志社の卒業式や新島記念会などには欠かさず出席し、乞われるままに亡き夫の思い出を語りました。襄から学資の一部を支援してもらっていた深井英五が、襄の没後に八重に学資のことを尋ねたところ、「そのことは襄から聞いています。今後は私から毎月渡します」と答えたそうです。雨の日に傘も差さずにずぶ濡れになって歩いている生徒を見かけると、八重は傘を差し出してにっこり笑って「傘は明日ここに返してね」と告げたことが一度ならずありました。八重にとって生徒達は、子供のようなものだったのです。

襄が亡くなった年、八重は日本赤十字社の正会員となり、社会奉仕に情熱を注ぎます。1894年(明治27年)の日清戦争の折は、広島の陸軍予備病院で四ヶ月間篤志看護婦として従軍しています。八重は40人の看護婦の取締役でした。八重は怪我人の看護だけでなく、看護婦の地位の向上にも努めました。1896年(明治29年)、その時の功績が認められ、八重には勲七等宝冠章が授与されました。この宝冠賞は女性のための勲章です。その後、八重は篤志看護婦人会の看護学修業証を得て、看護学校の助教を勤めました。さらに1904年(明治37年)の日露戦争では、大阪の予備病院で2ヶ月間篤志看護婦として従軍し、翌年(60歳)にはその功績によって勲六等宝冠章が授与されました。まるで日本のナイチンゲールのようです。八重の人生は、鶴ヶ城籠城以来、兄覚馬の介護・夫襄の看病、そして篤志看護婦と、介護の一生でもありました。

1894年(明治27年)から、八重は裏千家13代家元圓能斎に茶道を習い、翌年には「茶通箱」(初級)の許状を授かっています。女紅場時代に茶道に親しむようになったようです。習い始めてからは相当入れ込んだようで、明治31年6月には早くも「真之行台子(しんのぎょうだいす)」(上級)を授かり、茶道の教授を行っています。同年には同志社女学校同窓会長に就任、積極的に活動にも参加したようです。1907年(明治40年)、八重は自宅の土地建物を同志社へ寄贈しました。そのかわりに同志社から毎年600円の養老金を受けています。そのお金も茶道に注ぎ込んだと言われています。八重は「新島宗竹」という茶名までいただき、自宅で月釜を掛けるだけでなく、女学校の生徒達にも茶道を教えています。そして1923年(大正12年)には、「奥秘大圓傳法」を授かっています。こういった女流茶道家としての八重の活躍も無視できません。というより八重の茶道は単なるお稽古事ではなく、社会活動・女権獲得の一環だったのではないでしょうか。

日本赤十字社の活動の功績により銀杯を下賜された八重は、『数ならぬ身もながらへて大君の恵みの露にかかるうれしさ』とその喜びを詠じています。同年、旧藩主松平容保公の孫勢津子姫と秩父宮殿下との御成婚の儀が執り行われました。この縁組みによって、60年ぶりに皇室との和解が成立し、会津藩はようやく朝敵・逆賊の汚名を返上することができたのです。八重はこの成婚と汚名返上の喜びを、「いくとせか峰にかかれるむら雲の晴れてうれしき光をぞ見る」と歌っています。むら雲が晴れて嬉しいのは八重ばかりではありません。それは旧会津藩士すべての喜びでもありました。また同時に会津の知り合いの少なくなったことを悲しんで、「六十とせの昔を語る友もなくあはれさみしきこほろぎの声」とも詠んでいます。戊辰戦争から60年経っても、八重はずっと会津藩士の娘だったのです。1931年(昭和6年)には、故郷会津若松の大龍寺に山本家の墓を建てました。墓石の裏には「昭和六年九月合葬山本権八女京都住新島八重子建之八十七才」と刻まれています。

1932年(昭和7年)6月14日午後7時40分、急性胆嚢炎で永眠。享年86歳(数えで88歳)でした。江戸・明治・大正・昭和と移り変わった激動の時代を、右手に日新館童子訓・左手に聖書を持って、会津武士の魂とキリスト教の精神で生き抜いた力強い人生でした。八重の葬儀は、その年完成したばかりの栄光館で盛大に行われました。そこで、故人愛唱の讃美歌として、128番「うつりゆく世にも」(1954年度版139番)と274番「いつくしみ深き」(1954年度版294番「みめぐみゆたけき」歌詞変更)が歌われました。八重のお墓は、若王子の新島襄の墓の横に建てられました。なお今年(2012年)は、八重没後80周年、山本覚馬没後120周年の記念の年に当たります。

篤志看護婦正装姿の八重
篤志看護婦正装姿の八重
お茶会を催す八重
お茶会を催す八重