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新島八重×同志社女子大学

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新島八重と同志社女子大学

新島八重と女学校初期の生徒たち
八重と同志社女学校初期の生徒たち
(1878年頃・前列右から2人目が八重)

新島八重は同志社の創設者・新島襄の妻であり、同志社女子大学にとっては、前身である女子塾の開校・同志社女学校の教育にも尽力した人です。八重とドーン宣教師夫人が始めた小さな家塾が、後の女学校の基となっているとも言えます。
その八重は江戸時代末期に会津で生まれ、明治・大正・昭和という激動の時代を生き抜いた気丈な女性でした。

八重の一生は、大きく3つの時代に分けることができます。

まず第 I 期は、会津藩士の娘としての誕生から、会津戦争で敗戦するまでです。23歳の時に鶴ヶ城に籠城し、女性の身でありながら砲術で戦うという貴重な経験をしました。戦いで父・兄・弟・夫と、男家族を全て失った悲しみの中、それでも女家族だけで米沢へ移住し、たくましく生き抜いた八重でした。


第 II 期は、死んだとばかり思っていた兄覚馬を頼って、家族で京都へ移住した26歳以降、運命的に新島襄と出会い、クリスチャンとなり、妻として襄の健康面を気遣い続け、その最期を看取るまでの14年間です。一見幸福な時期にも見えますが、その実、古い因習との戦いの日々でした。

新島八重写真(1889年頃撮影)

第 III 期は44歳で未亡人となった後、満86歳で亡くなるまでの42年間です。
襄が亡くなった直後、日本赤十字社の篤志看護婦となった八重は、日清・日露戦争の負傷者の看護にあたりました。会津戦争以来、いろんな場面で看護に明け暮れた人生であったという見方もできます。

会津魂とキリスト教精神を合わせ持ち、自分の信念を貫いた八重でした。
そんな八重の生き方から、私たちは学ぶところがたくさんありそうです。


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