選考委員長講評

今年度も三万首近い歌をお送りくださいました全国の高等学校の生徒諸氏、先生方のご協力によって、今年もよい歌を選ぶことが出来たことを嬉しく思っています。選考委員を代表して深く感謝の意を表します。
今年度選ばれた歌も、英語短歌を含めて、選考委員各人の感性は異なっても高校生のこゝろに感じたもの、自分の五感でとらえたものを表現した歌であると考えています。とはいえ、英語短歌は小生の手に余り、ここでは触れえません。選者の評が加えられることになっていますので、そちらをご覧頂きたいと思います。
以下の感想は選考委員を代表してのものではなく、小生の感想になりますが、印象に残った歌を取り上げてみたいと思います。

今年選ばれた歌には恋の歌が少なからずありました。そのなかで、

君だけを見てる時間を数えたらギネスブックに載っちゃうくらい

を読んだとき、小生の頭にすぐに思い浮かんだのは、万葉集巻第十六の、 この頃のわが恋力記(しる) し集め功(くう) に申さば五位の冠(かかぶり) (十六ー三八五八) でした。もしかしたら『万葉集』を読んで、この歌を着想したのかな、と思いましたが、ともあれ巻第十六の歌は打算的な表現で笑いをとろうとしているのに対し、現代の高校生の発想だとこうなるのかなと、興味深く思いました。学校で、クラスでついつい気になってそちらをみてしまう、高校生らしい歌といえるでしょうか。

3332250004*(すきなんだ)恥ずかしがりな僕だから貴女に送る恋の暗号

携帯電話を詠んだ歌の発展的な例というべきでしょうか。こうした発想は高校生にはなじみのものなのでしょうか。小生などには思いもつかないことで面白く感じました。もっともポケベル世代には懐しいものであるのかもしれませんが。

ななたすご足りなくなった甥の指この指使えと差し出した母

足し算を習っている甥は何歳くらいでしょうか。まだ就学前なのでしょうか。一所懸命に計算するものの指しか使えない、そんなかわいらしさが浮かびますが、お母さんが指を貸してやると手を差し出したという表現が生きているように思います。祖母としては孫がかわいくてならないというところでしょうか。

ケンカをし母を怒らせ小遣いが事業仕分けの対象となる

お母さんの一時の感情を歌っただけの歌のようにもみえますが、一時は感情的になったお母さんは小遣いを減らすといいながら、結局支給を遅らせただけではないでしょうか。ここに重ねられた「事業仕分」は、スパコンのように実害が出たところもあったものの、結局はパフォーマンスに終わり、予算執行が遅れただけで済みうやむやで終わったともいわれ、読み方次第ではここを突く皮肉とも読め、高校生の目も結構鋭いと思わせる歌でもあります。

トビラから出て行った親追い求め開かぬトビラに残った手跡

この歌は養育放棄された子の悲劇を詠んだ歌です。体験なのか、テレビを見ての着想かわかりませんが、現代社会の抱える深刻で厳しい問題を取り上げています。「開かぬトビラに残った手跡」はドアを開けられない幼子のイメージをきちんと形象しており、印象に残る表現であるとおもいました。

昼下がり短く切った髪の毛と風で感じる秋の足音

何に秋を感じるか。歌人たちはそれを様々なものに見いだしてきました。作者は短く切った髪の毛を吹く風に秋を感じたといいます。一つの秋の捉え方の表現だと思いました。

暗闇にパッと花咲く花火の火なごりおしげにゆらりと溶ける

暗い空に一瞬開いてゆっくりと消えていく花火、その火の消えていくさまを描く下二句の表現が良いと思います。「なごりおしげ」は作者の心象の投影でしょうか、「ゆらりと」は花火の感じを、「溶ける」は火が消えて元の闇に戻っていく感じをよく出しています。

ねぇじいちゃん口をあけんと食べれんよ?今年の桃は甘いんやって

介護を歌った歌です。息子や娘、嫁のいうことは聞かなくても、孫の言葉は聞く頑固な老人は多いのでしょう。優しい孫娘の言葉に、口を開けようとしている老人が彷彿と浮かぶ歌で、印象に残ります。

つい昨日十八歳になったから例えばゆっくり歩いてみたり

これは、まだ年齢を自覚し、一つ年をとるだけで自覚が変わったりする年頃を巧みに表現していると思います。「ゆっくり」はモデルのような歩きでしょうか。老年になると、現実にゆっくりした歩みになって、年を自覚させられる羽目に陥りそうです。

今日だけは少し大人になりたくてスターバックスでカプチーノを飲む

この歌も、学校で出入り禁止になっているのかどうか、スターバックスでカプチーノを飲むことが大人の気分を誘うという高校生らしい意識が表現された歌だと思いました。

チョキチョキと考えながら枝毛切る悩む私の進路も枝毛

この歌は女性のしぐさとしてよく目にするものといえますが、枝毛と進路の岐路を重ねたところが面白い表現になっていると思いました。悩み多き年頃を枝毛に巧みに表現しているといえるでしょう。
ところで、見立て、イメージで歌った歌にこゝろ惹かれる歌がありました。

金魚すくい追えば逃げてく水の中赤いスカートひらひらゆれる

金魚の赤い尾びれを赤いスカートに見立てた歌ですが、金魚すくいの場面と結びつけることで、夏祭りの頃のある懐かしさを思い起こさせる、そうした魅力をもつ歌といえます。

血漿のいろを並べた試験管ゆらす羽音のようなかなしみ

生物部の実験でしょうか。血球を除いた血漿を入れた試験管の色というのを見たことはありませんが、それを入れた試験管をゆるやかに振るその音が羽音のようにかすかで、しかもなにということのない悲しみと重なってくるというのでしょうか。女子高校生の感性を巧みに表現したよい歌というべきでしょう。こころに響く力をもっているといえます。

彼岸花赤い炎の風になりマラソンの先頭集団が来る

「赤い炎」という表現は一般的なことばにしても、彼岸花が「赤い炎の風になり」という表現は巧みだと思いました。しかもそれをマラソンの先頭集団を形成するランナーたちの情熱、スピードと重ねたところが巧みであり、良い歌であるとおもいました。

制服の第一ボタンを開けたまま折り目のついた「みだれ髪」読む

この歌は選者全員が選んだ歌でした。何でもない情景を連ねた歌のようにみえながら、良く言葉を選んで構成されており、「みだれ髪」のどんな歌に関心をもって折り目を付けたのであろうか、などとふと想像させ、ゆったりとした態度で歌集を読んでいる高校生のイメージをうまく表現した良い歌だと思いました。

このように高校生たちの的確な表現、優れた表現に接しえることは大きな喜びとするところです。来年にもまた期待したいと思います。
ところで、このようにまだ若く、さまざまな可能性をもつ諸氏のなかに、他者の表現を剽窃した歌があったのは残念でした。実は、選考過程で評価を得た歌の中に、他の方の歌や詩の表現を用いた歌がありました。現代はインターネットからのコピーアンドペースト(コピペ)が横行し、他者の表現を自分のものであるかのように用い、オリジナリティの尊重が軽視される時代だといわれます。応募作品にもその一端が現われたようです。
しかし、「SEITO百人一首」は高校生のオリジナルな作品を求めています。盗作を求めてはいません。
確かに歌の歴史を振り返ってみると、『万葉集』には一語違いの類歌、『新古今和歌集』には本歌取もみえます。先行歌を用いた歌の典型例の記憶をたどると、遊びでしょうが、『大和物語』姨捨でも知られる『古今和歌集』の「わがこころなぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月をみて」の最後の一字「て」に濁点を打っただけ、「みで」として異なるテーマの歌にした例もあったかと思います。
しかし、現代では、短歌創作においても表現のプライオリティ尊重が重視されています。他人の歌や詩を用いると盗作とされます。来年度はこうした「ずる」をしないで、自分の感性と言葉で詠んだ歌を応募してくださることを願っています。

(寺川眞知夫)

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