今年度も三万首近い歌をお送りくださった全国の高等学校の生徒諸氏、先生方にご協力を感謝します。お陰様で、今年もよい歌を選ぶことが出来ました。選考委員を代表して厚くお礼申し上げます。
今年度選ばれた歌も、英語短歌を含め、選考委員各人の受け取り方は異なっていても高校生がこゝろに感じ、それを自分の言葉で表現した歌であると判断した歌です。小生は今年になって急に英語が十分理解できるようになったというわけにはいきませんので、やはり英語短歌は選者の評の方をご覧頂きたいと思います。
以下は選者全体の意見の集約ではなく、小生の心に響いた歌の感想を述べたものです。
今年選ばれた歌の主要テーマは、結果的には三月十一日の東日本大震災、家族(祖父・祖母・父・母)、恋愛、自己凝視に纏められるでしょうか。
まず、大震災を詠んだ歌からみていきますが、大震災の歌は、被災地よりは、他の地域の生徒さんの作が多くみられました。どこか、心の余裕があるからでしょうか。
「夢であれ」そんな願いをぶち壊す視界がとらえる「津波中継」
テレビで突然始まった津波中継は日本全体に津波の破壊力のすごさ、恐ろしさをリアルタイムで伝えました。リアルタイムで現実に起こっているとは思われなかった悲惨な情景、しかし、事実でした。それを詠んだ歌です。「視界」の用語は推敲が必要かと思いました。
波音と悲痛の叫び響きたる癒えることなき深き傷跡
この歌も津波の映像をみての歌。津波が人々、家、車を、障害物が無いがごとく、黒い水となって瞬く間に飲み込んで行くのをみた衝撃、深い心の傷を歌い、心に響きます。
震災後そり立つ松の木被災者に勇気を与える一本の柱
高田松原が全滅したなか、一本だけ生き残った松が被災者に大きな勇気を与えたと、繰り返し放映されました。その松も結局は塩害で枯れましたが、命は継ぎ木によって保たれ、人々の希望を繋げていくでしょう。神の降臨を連想させる柱の表現が良いと思いました。
受話器越し声が聞こえたそれだけで命を感じた三月の夜
災害時の、肉親や縁者たちの声を直に聞くことのできた喜びの表現。体験、フィクションいずれにせよ、人間の声のもつ不思議な力を表現し得ている歌といえます。
何気ないこの生活が壊れると誰が思ったか「3月11日」
まさに予期せずその「時」はやってくる。古来人々が繰り返し経験した「時」、無常を感得した「時」です。それ故に今この時の、人との絆を始めとする、様々な絆を改めて見直し大切にすべきことに気づかされます。そうした気づきを表現した歌と解しました。
避難して大震災後家に行く床一面に広がった泥
被災した高校生の歌。災害報道は被災地を面として広く捉えますが、その面は個々の被災の事実の総計としてあります。その具体的な一人の個の歎を表現した歌といえます。
放射能見えないものに襲われて寒気感じる節電の夏
原発事故は想定を超える深刻な災害として、見えない放射能が今も我々の生活を犯しつつある。それは夏の節電で終わらないとの予感を鋭敏にとらえて表現した歌といえます。
東日本大震災は若いこころにも大きな、かつ深刻な影響を与えていることをこれらの歌は窺わせています。こうした重大事にこころをむけ、表現しようとした高校生が多くいたことは、今の若者の精神の健全なことを伝えていると改めて感じさせてくれました。
紙ふぶきかかげたカップほこらしげドイツに咲いたなでしこの花
なでしこジャパンの活躍は沈みがちな日本人の心に活力を与えました。今年はスポーツ分野での若い女性の活躍がひときわ目を引いた年でした。今までの積み重ねあってとはいえ、女性・若者のエネルギーに感心しつづけています。金の紙吹雪が目に浮ぶ歌です。
作業中1mmちがいやり直し社会のつらさ身にしみてくる
1ミリの誤差を許さぬやすりがけ体に熱持ち手に汗にぎる
どちらも金属加工の実習を詠み、かつ一ミリの誤差の許されないことを詠んだ歌です。こうした若者が日本をしっかりと支えていくことでしょう。前の歌の「社会のつらさ」は的確な表現でしょうか。後者はやすりがけの臨場感が表現できているように思います。
本当に辛かったことは話さない戦争のこと祖母はそう言う
辛い戦争体験を心の闇として心に秘め戦後を生きて来られたという祖母、詠者はどう感じたのか。辛さにすぐにギブアップしがちな心の弱った現代人、すぐ心理云々を問題にする我々はこうした女性の生き方を想ってみるべきではないか、と思わせる歌です。
風呂敷をきっちり結ぶ祖母の手に見とれてをりぬ夏の縁側
小生も子供の頃、風呂敷の結び方を祖母から教わった記憶があります。きっと見とれるだけでなく、祖母の技も承け継いだのでしょう。大切なことが詠まれた歌といえます。
秋の空祖母が見ていた夕やけをむこうからでも見えてるだろうか
お祖母さんは夕やけをどう見て居られたのでしょう。古代人は日の沈む方向に西方極楽淨土をイメージしました。向では東にみえるのでしょうか、祖母を偲ぶよい歌です。
悲しみがリアルな方はジイチャンガ死ヌより母が嗚咽すること
祖父の死がまだ実感として感じられないとき、母の嗚咽の方がリアルにそれを感じさせると歌う。若者の死に接した時の一つの感じを表現した歌といえるでしょうか。リアルはともかくカタカナを用いた表現に工夫がみえています。
「なぁ聞いて?」いつものように父に語る返事は来ない仏壇の前
多感な時期、様々な新たな経験をし、こころの揺らぎを誰かに語りたいと思う、進路にも迷い悩む高校生の、父を失い相談のできない悲しみを詠んだ歌。素直に受けとりたい。
ねえ父さん紅葉まんじゅう好きだよねお墓に語る母美しい
この歌も父を失った高校生の歌。お母さんが亡くなった父をずっと思い続けておられる姿にこころ動かされた優しい息子の、感動を表現した歌。詠者の目の向け方、表現が好ましく思われます。
母だけはいつも「平気」と笑ってるたまには弱音を吐いてもいいのに
お母さんの強さに少し反発している息子の複雑なこころを表現した歌です。分からないではありませんが、母さんの思いを想ってみるのも成長に繋がるのかとも思った歌です。
お母さん誕生日にあげたマグカップ入ってた箱なんかすてたらいいのに
物の価値は、人それぞれです。カップを入れた箱でも娘のこころが籠もっていることにお母さんは価値を認めておられるのでしょう。歌はそれを分かっての詠みぶりです。
今年は日々の肉親との心の絆、それが大きな世界に広がっていくことの大切さに気づかされた年であった。高校生の肉親を見つめるこころの成長、それを他者に伝える表現に磨きをかけることに、期待したいと思います。
次は異性との関係、そこに生じる揺らぎを詠んだ若者らしい歌をみてみましょう。
お手紙を読まずに食べた消化器がただ幸せな山羊になりたい
着想に優れ、表現も巧みな歌です。手紙に何が書いてあったか、と想像してみると、おそらく絶縁の手紙。それを詠まずに食べてしまっておれば幸せであった、しかし、詠者は読んでしまい、落ち込んでいるようです。それを「消化器がただ幸せな山羊になりたい」と表現したところが素晴らしいと思いました。
「アキが好き」綺麗に朱に染まるから鬼灯 紅葉 夕焼け空 君
表現の切れ味のよい歌。秋の朱に染まる景物に加え、「頬を紅潮させる」イメージの「君」を配し、そうした「君」とともにある「アキ」が好きという表現はなかなか巧みです。
悲しみにふけった夜はカルピスの原液を飲む空っぽな僕
歌の意味を論理的に辿ろうとすると、うまくはいかない、何故カルピスの原液なのだといってみても始まらないが、それでもなんとなく、ああ、辛いんだろうなと分かる歌です。
「贈り物ですか」と聞かれ「はい」と言う勇気の出ない春の雑貨屋
異性への初めての贈り物をする、そうした時の心の揺らぎを巧みに表現し得ている歌です。雑貨屋のごく普通の客への言葉にも心が揺らぎ、とまどう初々しい心が感じられます。
近江富士見上げて見ればいわし雲すそ野にゆれる秋桜の花
これは叙景の歌。滋賀県の人には親しまれている三上山。その山をどこから見ているのでしょうか。鰯雲を背にする三上山、それを背にするコスモスの重なりを詠んだ美しい歌。
雨上がり雫の花が木々に咲くいつもは見えぬ蜘蛛の芸術
いつもは気にもしない、むしろ汚い邪魔者とみられる蜘蛛の巣に雨の雫がついて花のように美しい姿に変身、雨と蜘蛛の合作の芸術。見逃しがちな景をとらえて詠んだ叙景の歌ですが、邪魔者扱いされるものの素晴らしいものへの変身の可能性を想像させます。
花火では花占いはできないね光って散った好きも嫌いも
花火を詠む歌は毎年みられます。着想のよい歌です。花火を花に見立て、花占いに結びつけ、さらにそれをする前に好きも嫌いも散ってしまったと歌う表現がよいと思います。
モノクロの人の波間に赤い靴鳴らして歩く我は十七
この歌の赤い靴はコマーシャルの背景はモノクロにして商品だけをカラーにする手法に着想を得た表現でしょうか。その靴を鳴らして颯爽と歩く女性を十七歳に設定したのは高校生らしい表現で、これもなかなか着想のよい、印象深い歌だと思いました。
送り火を待ちわびている人の群れ岸辺にゆらめくケータイ蛍
この歌のよさはなんといっても「ケータイ」の光る画面を蛍に見立てたところでしょう。どんなところに行ってもケータイを手放さない、今の日本人の姿を彷彿とさせます。目の付け所、言葉の選び方が素晴らしいと思いました。
高校生たちも様々なところに目を配り、斬新な表現を生み出している、そういった印象を強く受けた今年の歌でした。こころを如何に研ぎ澄まし、如何なる世界を捉えるか、それを表現するために言葉を如何に使いこなすか、積極的に自分で歌を詠んでいる人ばかりでなく、授業の課題として詠んだ高校生のなかにも、小生などよりも遙かに高い水準に達していると思った歌を詠んでいる生徒が少なからずいたことは、非常に頼もしいことに思われました。
しかし、今年も他の人の歌や表現をほぼ用いて自らの歌として投稿された方のあったことは残念でした。

