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宗教部だより

今月のことば

毎月、「ことば」として宗教部長・宗教主任が身近な話題や社会問題を通して、聖書の一節をご紹介します。

2018年1月 今月のことば

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」

マタイによる福音書 5章9節

   私は第2次世界大戦が終わって17年ほどして日本に生まれました。物心がついたころには、日本はとても平和な国で、この国があのような大きな戦争を起こしたなどとは考えられない、穏やかなところになっていました。また、人々には戦争の悲惨な記憶がしっかりと残っていて、戦争をすることがいかにばかげたことであるか、多くの人々が認識していたことを今でも覚えています。例えば、私の祖母はよく「戦争だけは二度といやだ」とよく言っていました。

   私は幼いころからずっと、人々の脳裏に記憶された、そのような体験は社会の記憶として永遠に定着するものだと思っていました。しかし、最近そのことに自信がなくなってきました。政治家の言動を見ると、戦争の悲惨や無意味さを以前のように理解している人が大変少数になった気がします。政治家だけではありません、世の中の人々の様子を見ても社会に刻まれていたはずの記憶が失われてきていることを感じます。例えば、日本は戦後、長らく人を殺傷する兵器の輸出を抑制してきました。しかし、最近はそのような原則がなし崩しになり、日本で開発された兵器が世界に輸出されようとしています。でも、この現象を止めるべきだと声高に主張している人を殆ど見かけないのです。

   私は内戦下のスリランカに住んでいたことがあります。自分も時限爆弾から間一髪で逃れたこともありますし、近所の女性が夫を亡くし、未亡人になり嘆き悲しんでいる姿を見たりしました。その時の感覚でいえば、戦争は油断しているとスーと日常に入り込んでくるのです。驚くほど、ハードルが低く、戦争は平和な暮らしに取って代わります。

   人々に絶えず戦争をしないという決意が無ければ、戦争は直ぐに我々の生活の一部になってしまうのです。よく我々は、そのようなことは政治家の問題だと責任を転嫁しますが、もし戦争がおこれば、間違いなくそれを容認した我々全てが共犯者になるのです。第2次世界大戦中も実は日本は独裁国家でなく民主主義国家で政治家は選挙で選らばれていたのです。

   イエスの言う「平和な国」の建設に我々は積極的に関わらなくてはならない使命があります。隣の国の誰かの責任で戦争が起こるのでなく、我々自身が戦争の責任者にいとも簡単になってしまうことを、肝に命じる必要があるのです。

 

(Memoria hospitis unius diei praetereuntis서울에서)

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●2017年度●
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