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※所属・役職は掲載時のものです。

土用の丑の日

2018/07/18

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

中国には古くから五行説が行なわれてきました。万物はすべて木・火・土・金・水という5つの元素から成っているという考え方です。太陽系の惑星(水星・金星・火星・木星・土星)の名にもこれが用いられています。またこれに日・月を加えたものが七曜になっています。

これが季節にもあてはめられました。春(青)が木、夏(赤)が火、秋(白)が金、冬(黒)が水です。季節は四季ですから、土(黄)の入る場所がありません。そこで各季節の後ろの18日を削って、土にあてはめることになりました。18×4で72日となり、5つが均等になります。

もちろん木・火・金・水が連続した72日であるのに対して、土用は年に四回存しています。ちょうど節分と重なります。というより、節分は四立(立春・立夏・立秋・立冬)の前日ですから、当然節分は土用の最終日でもあるのです。

年四回ある土用ですが、江戸時代以降土用といえば夏(立秋前)の土用を指すようになりました。というのも土用の丑の日にうなぎを食べる風習と結びついたからです。ただしこれは必ずしも古くからあった年中行事ではありません。

栄養価の高いうなぎが健康にいいのはいうまでもありません。そのことは『万葉集』の撰者とされている大伴家持が、

        石麻呂にわれもの申す夏痩せによしといふものぞうなぎとり召せ(3853番)

        痩す痩すも生けらばあらむをはたやはたうなぎをとると河に流るな(3854番)

とうなぎの歌を2首詠んでいることからもわかります。

最初の歌は吉田連老(むらじおゆ)(石麻呂)に、夏痩せでバテているならうなぎをお食べなさいと戯れています。次の歌はうなぎをとろうとして河に入って流されるなと、これまた戯れています。いずれにしても家持の時代から、夏バテ防止の健康食としてうなぎが食べられていたことがわかります。とはいえ、それは土用の丑とはまったく無縁でした。土用の丑にうなぎを食べるようになったのは、江戸時代後期の安永・天明頃とされています。しかもそれは自然発生ではなく、発明家として有名な平賀源内が知り合いのうなぎ屋に頼まれて、夏に売れないうなぎを売る方策として「本日丑の日」と書いて店先に貼ったところ大繁盛しました。これは日本初のコピーライティングとも言われています。

当時、丑の日に「う」の字が付くものを食べると夏負けしないという風聞があったのか、「う」の字が付くうなぎが飛ぶように売れたというのです。それを他のうなぎ屋も真似るようになり、夏の土用の丑の日にうなぎを食べる風習が定着していったというわけです。ただしうなぎの旬は秋から冬にかけてですから、夏のうなぎは味が落ちるとされています。夏のうなぎが売れない理由はちゃんとあったのです。

ところで土用は18日間ですから、これに干支をあてはめると、丑の日が2度ある年も出てきます(珍しくもありません)。2018年は7月20日と8月1日が丑の日になっています。その場合、最初が一の丑で次が二の丑と称されています。うなぎ屋さんにとっては有難いかもしれませんね。

ついでながら、うなぎの調理法について一言。うなぎは腹から裂くか背から裂くか2通りあります。大阪では腹裂きですが、武士の多い江戸では縁起をかついで(切腹を嫌って)背から裂きます。また大阪は地焼きですが、江戸は焼いた後に蒸します。そのため「まむし(真蒸し)」という恐い呼び方もされています。なんだかうなぎの蒲焼を食べたくなってきましたね。