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※所属・役職は掲載時のものです。

八重さんのお雛様と対面!

吉海直人(日本語日本文学科 教授)

『同志社時報』81号(1986年11月)に、「武間冨貴同窓会名誉会長に聞く新島八重のことなど」が掲載されました。その中で武間氏は八重の所有していたお雛様について、

おば様は、数種類のお雛様、三人官女や五人囃子それにおひな様のお道具類を沢山おもちになっていました。毎年三月になると押入のお人形箱からお人形を大事にとり出して、久しぶりに会う人に話かける様に挨拶しながら、一つ一つ丁寧に顔を絹のきれでふき、雛壇にかざって楽しんでおられました。お節句がすんで片づける時も、お一人で一つ一つの人形に、また来年迄と話かけて仕舞って居られたのを、よく覚えています。あのお人形やお道具類、今、どこにあるのでしょうかね。

と語っています。ここで武間氏が「今、(お雛様は)どこにあるのでしょうね」と質問されたのに対して、聞き手の河野仁昭氏は「存じません」と返答しただけで、すぐに次の話題に移っています。男性だからか、河野氏はお雛様については興味がなかったようです。

この記事を読んで反応されたのが富沢玲子氏でした。富沢氏は『同志社時報』88号(1990年1月)で、そのお雛様が末光力作氏宅に保存されていることを報告されています。八重のお雛様が末光家にあることの理由については、

末光信三先生は、新島襄先生亡きあと、さびしそうにしておられる八重夫人を聖書研究会に誘って、いっしょに聖書を読み、ともに話し合うことで慰められたという。アルバムのなかには、その聖書研究会の写真もあり、学生にかこまれた八重夫人が写っていて、そのそばに末光信三先生がひかえておられる。その先生のまなざしは、いかにもあたたかいいたわりに満ちている。当時まだ小さかった力作先生は、八重夫人にかわいがられ、鞠をもらわれたこともあったとのこと。子どものおられなかった八重夫人は、末光先生ご一家のあたたかいお心にたいし、大切にしていたお雛様をうけついでもらうことで、感謝の気持ちを表されたのだろう。

と、両家の親密な交流ゆえであると推測されています。

ところで、先に武間氏は「数種類のお雛様」と述べていました。それが正しければ、八重は複数のお雛様を所持していたことになります。そうなると末光家のお雛様は、そのうちの一セットというわけです。その証拠に、『新島八重子回想録』の口絵の中に、お雛様と一緒に写っている八重の写真が掲載されていますが、末光家のものとは別種のお雛様のようです。

また富沢氏は、「先生は八重夫人の少女時代の思い出話に耳をかたむけておられたかもしれない」と述べていますが、それはこのお雛様を会津から持ってきたと考えてのことかもしれません。しかし八重は戊辰戦争ですべてを失っているはずなので、八重のお雛様は京都に移住した後で手に入れたものと考えるのが妥当ではないでしょうか。

ついでながらそれ以前、やはり『同志社時報』74号(1983年3月)で「〔鼎談〕新島八重をめぐって」という座談会が行われた折、末光力作氏御自身が「私は夫人からいろいろなものをもらうのですね。大きなゴムのボールをもらいましたよ」と、八重からゴムボールをもらったことを語っていますが、やはり男の子だったからでしょうか、ここではお雛様について言及されていません。その後も、お雛様のことが話題にされることはなかったようです。もちろん末光家からお雛様が手放されることはありませんでした。ただしお道具類などがいつの間にか足りなくなっているとのことです。

NHK東日本震災関連プロジェクトの一環として、会津若松出身の八重が2013年大河ドラマ『八重の桜』の主人公に選ばれたことが報じられ、八重に対する関心が急激に強まってきました。学校法人同志社では「八重桜プロジェクト」が立ち上がり、遅れて同志社女子大学でも「同志社女子大学新島八重研究会」が発足しました。その最初の会合の雑談の折、八重のお雛様のことが話題になったのですが、その時は立ち消えになってしまいました。ところが、不思議なご縁というものでしょうか。その翌日卒業生の方から、そのお雛様が現在末光家のお座敷に飾られていて、お訪ねすれば見せていただくことができるというお話があったのです。

早速数人の仲間と末光家を訪問し、八重のお雛様と初対面しました。案外小ぶりでしたが、そのお顔は気品があって大変きれいでした。すぐに写真を撮らせていただき、その後図々しくも、「このお雛様を是非たくさんの学生・生徒、卒業生に見せたいので、本学、同志社女子中学校・高等学校と同志社同窓会の三者でお借りすることはできませんか」と、みんなでお願いしてみました。すると幸いにも構いませんとのご返事をいただいたのです。2月2日から史料室で展示していますので、是非御覧になってください。

これが新島八重研究会の最初の仕事というか、最初の大きな成果になりました。なお、京都では一般的に向かって左に女雛を配しますが、末光家では関東風に、向かって右に女雛が据えられていましたので、今回はそのように飾っています。

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