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※所属・役職は掲載時のものです。

アトムは大丈夫か

村瀬 学(生活科学部 人間生活学科 教授)

「3.11」の原発事故の後、今は入ることも許されない原発のある町の入り口で、鉄腕アトムがにこやかに手を上げて歓迎している看板をテレビで偶然見た。その時の何かしら見てはいけないものを見てしまったような後ろめたさを、どのように表現すればいいのかわからない。アトムの心臓部に「超小型原子力エンジン」が使われているということは、もちろん知る人は知っていた。しかし、だからこそアトムは強いんだと私も思ってきた。少なくとも私はそうであった。しかしそのアトムが、今は誰も入ることに許されない町の入り口で、一人手を上げて人々の来るのを歓迎している。このアトムはそうやって今何をしていることになっているのだろうか。

私にとっての「アトム問題」は、「アトムの終わり」を意識しなかったという所にある。その楽天さが「原発の終わり」を意識させてこなかったことにつながってゆく。このことは、手塚治虫がアトムの連載を終わらせることで悩んでいたことと重なってゆく。手塚は連載のアトムが、あまりにも「子どもじみた正義の味方」のままで続いていることに嫌気がさしていたし、早く連載を終わらせたいと思っていた。しかし、その終わらせ方には、私たちはほとんど関心を示してこなかった。その時が来たのは『少年』連載の「青騎士の巻」であった。ここでアトムは、15年の連載を終えることになる。(と言っても、実際にはまた「アトム復活」として連載が始まるのであるが)。
「青騎士の巻」は、ここでは人間に虐げられるロボットの中から、ロボットのための国を建設するために「青騎士」が立ち上がり、その青騎士に殺されそうになった人間のロッス博士をかばって、アトムが破壊されてしまう物語である。その時のアトムは、首がちぎれてなくなり、胸の上部も壊れて中の部品がむき出しになっていた。「青騎士」もその後爆発させられてしまうのであるが、物語の最後の場面では、お茶の水博士が、首のなくなったアトムを抱き上げて科学省へ向けて歩いて行くところで終わっている。
私が今の時点で気になるのは、このアトムの壊れ方であり、手塚治虫のアトムの壊し方である。このときアトムは首を吹き飛ばされ、上部に大きな破損を受けたということは、心臓部の「小型原子力エンジン」も被害を受けているという事になる。となると、原子炉の破壊ということになり、周囲には放射能漏れが起こっているはずであった。しかし、漫画ではそういうことにもならずに、お茶の水博士が両手でアトムを抱えて歩いて行くのである。たかが漫画のことで、今さら何を「問題」にしているんだと言われそうであるが、私は今ここで手塚漫画の批判をしようとしているわけではない。そうではなくて、手塚も、私たちも「アトムが壊れる」ということを、たぶんそういうふうにしか意識してこなかった経過があるのではないかという事について考えたいのである。つまり、アトムが活躍するには「原子力」がいる。しかしアトムが壊れるときは、機械人形が壊れるように壊れるだけだというイメージについてである。「原子力」や「原子炉」が壊れるとは、どういうことが起こることなのかというふうには、ストーリーの中では考えられていないのである。
その証拠に、「青騎士の巻」の次の巻で、お茶の水博士は、アトムを復活させようと、様々な試みをするのだが、そのつど爆発を繰り返し成功しないのである。「問題」は、その爆発の描き方である。漫画では20数回失敗し爆発しているのだが、中には胸部が木っ端みじんに吹き飛んでいる情景が描かれているところがある。まさに「原子炉」が吹き飛んでいるのである。でも、周りにいた科学者たちは、被害を被るにしろ「被爆」したようには一度も描かれることはなかったのである。何度爆発してもアトムは何事も無かったかのように、また同じ研究室で同じ科学者たちによって再生させられるというのが、この時のアトムの描かれ方である。
今となれば、こういうアトムの再生のされ方に違和感を抱かずに認めてきた感性が、おそらく戦後の日本人の多くの感性に似ていたのではないかと私は思う。「大活躍」させるための「原子力」への期待や承認と、それが「破壊」される時のあまりにも簡単で非現実的な理解の仕方。その間にあるひどい無理解の落差。もちろんそれは、漫画だからと言うこともあるだろうが、「原子力」の「活躍」の理解と、それが「破壊」「終焉」をむかえる時の安易な理解の落差は、おそらくその後の日本人の「原子力」への大衆的な認識を方向づけていたように私は思う。そうでないなら、原子力発電所を誘致した町の入り口に、鉄腕アトムの看板を立てるようなことはしなかったはずだからである。鉄腕アトムは、つねに「活躍するアトム」であって「終わりのあるアトム」としては承認されてこなかったのである。
アトムのイメージは、まさに谷川俊太郎が作詞した「♪心やさし 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム♪」という主題歌のままのアトムだった。しかしこの歌には二番がある。「♪耳をすませ 目をみはれ そうだアトム ゆだんをするな♪」という歌詞である。「ゆだんをするな」という警告のフレーズは、口ずさむときに、子どもなりに妙なリアリティを感じていたことは今でもはっきりと覚えている。しかし、その時の「ゆだん」をしてはいけないものは、アトムの「外」にいるもの、私の「外」にあるものだと感じていた。歌の歌詞からすれば、そういう事なのだろうが、今となってみれば、この歌詞は意味深長で、「アトムに気をつけろ!」と読み取ることもできる内容を含んでいることがわかる。「耳をすませ 目をみはれ そうだアトム ゆだんをするな」というのは、「おまえも油断をすると爆発するぞ」とアトムに警告しているようにも読み取れるからだ。