1. 同志社女子大学ホーム
  2. 教員によるコラム
  3. ケアの循環

教員によるコラム

看護学部詳細

一覧へ戻る

※所属・役職は掲載時のものです。

ケアの循環

2018/07/11

宇野 真由美(看護学部 看護学科 実習助教)

*素敵な言葉
フローレンス・ナイチンゲールの著書に、「日々進化し続けなければ、それは退化していることと同じ」という言葉があります。それはつまり、私たちは日々何かを学び、得て、そして進化していくことが当然のことであるということを指し、日々進化していないのならば、後退してしまっていることと同じと言い表しています。少し厳しいようにも聞こえますが、この言葉は看護職者のみを対象としているのではなく、女性として輝き続けるために、どう生きていくべきかのヒントとなる素敵な言葉とも思えます。
では、どうすれば日々進化していけるのでしょうか?これについて、「私たち看護職者は他者をケアする」という視点を切り口に、「ケアする者がケアされる」ということ、そして、「ケアを自身に取り込む」ということから考えてみたいと思います。

*ケアをする者がケアされるということ
私たち看護職者は、他者に関わり、ケアをする立場にあります。質の高いケアを十分に発揮するには、ケア提供者が豊かなケアを受けながら学び、育てられるべきであると考えます。それは、学生であっても、どのような立場にあっても基本的には同じことと考えます。ケアをするべき立場の人の心が、砂漠のように乾燥し切った状態であっては、潤いのある言葉や態度が出てこないと考えるからです。そのため、ケアをする立場にある人は十分な潤いや栄養を受ける必要があると思います。
例えば、私たちは「目の前にある、なすべきことにロマンを描く」ことができるでしょうか?それとも、日々しなければならないことを単調にこなしているだけでしょうか?学生の場合、日々の学習は何のためでしょうか?国家試験に合格するためだけ?それとも資格取得のずっと先に、自身の看護や看護学あるいは看護実践を発展させる夢を見据えることができているでしょうか?これらには随分大きな違いがあると思います。朧げであっても将来を見据えた日々の取り組みこそが、日々進化していくことのように思います。
そこで、「ケアされること」の話題に戻りますと、十分なケアを受けることができていれば、その人は目の前にある一つ一つの現象にもロマンを描くことができるのではないかと思うのです。

*ケアを自身に取り込むこと
では、私たちはどのようにケアを受けるのでしょうか。ただ、周囲から与えてもらうだけでしょうか?次に、ただ受け身になるということではなく、受けたケアを感じ取り、どれだけ自身の中に取り込めるかということに着目したいと思います。そこで受けたケアを感じ取り、自身に取り込む力について、一つの要素から考えたいと思います。
私たちがケアを受けるのは、人からだけではなく、様々なものからケアを受けることができます。その一つに自然環境があります。中でも私自身が日々、ケアを受けていると感じることについてお話したいと思います。それは、大学の正門から看護学部棟に到着するまでのことです。
この季節、雨に打たれた純白のくちなしの花が甘い香りを放ち、紫陽花が鮮やかな青を与えてくれています。アガパンサスが夏の風に揺られ、ダイナミックな動きを知らせてくれます。そんなことに優しさを感じ、感謝せずにはいられない気持ちになります。このように自然のパワーを感じ取ることでケアされ、自身の力に取り込んで、微力ながらもその力を誰かのため、何かのために役立てたいという気持ちになるのです。

*ケアの循環
小さなことですが、自然環境からもケアを受け、感じ取り、自身に取り込むというような習慣も、自身の目の前のタスクにロマンを描く原動力の一つとなるのではないでしょうか。つまり、受けたケアから、楽しみや喜び、時には哀しみさえ感じ取り、自身のフィルターを通してアウトプットし続けること、その経験が次へのケアにつながるように思うのです。
そして、今日は昨日の自分より進化していると感じながら、誰かのため、何かのためのケアができるようになるのではないかと思います。