同志社女子大学年表


1937 昭和12 2.26 国体明徴をスローガンとする内外の圧迫に対し「同志社教育綱領」を発表、同志社教育と教育勅語の背反しないことを宣明
    4.1 栄光館同窓会事務所に購買部を設置(教科書、文房具、学用品等)
    5.10 ヘレン・ケラー講演会(栄光館)
    7.5 大学予科生のチャペル籠城事件
    12.31 軍部・右翼団体による糾弾激化、同志社の危機を憂慮し湯浅八郎総長辞任
1938 13 7.5 牧野虎次、同志社総長事務取扱に就任
    10.24 女専英文学会の発会式。
    10.28 御真影奉安殿献堂式(同志社チャペル東側)
    11. 明治時代の女子部卒業生による明治会発足
    12.8 貞明皇后の女学校行啓記念碑を栄光館前に建立、除幕式
1939 14 1.25 デントン病臥中に同窓会宛遺言状を作成
    5.16 女専家政学会発会
    6.2 「青少年学徒ニ賜リタル勅語」拝読式
    10.21 例年植物園で行った高等女学部運動会を、経費節約のため男子部運動場で実施
    10.25 高等女学部、防空演習
    11.24 J. C. グルー米国大使、デントンを訪問
1940 15 1.24 女専・高等女学部全員、橿原神宮に参拝
    2.11 皇紀2600年紀元節拝賀式
    3.1 同窓会館竣工、階下を今出川幼稚園、階上を同窓会館として使用
    4. 同志社大学は女専英文科に加え、家政科卒業生も受け入れ
    4.1 校舎が狭隘のため「時がくれば返す」という学校の約束のもとに同窓会事務所、会議室(栄光館内東南隅一角全体)を女学校に貸し、同窓会事務所は栄光館内西側事務室の一隅に移転
    4.15 同窓会が紫苑会講習会を開講
    10.10

13
新島襄没後50周年記念遺品展覧会、その他記念行事を東京・大阪・京都で開催
    11.29 大学正門内「良心碑」除幕式
1941 16 2. 文部省通達(青少年学徒食糧飼料増産運動)により岩倉に、その後野々宮・加茂川畔(女専)にも農場を開場。これ以降終戦をはさむ授業休止中もクラスごとに農園作業を1946年秋まで継続
    3. 日米関係悪化し、F. B. クラップ、E. L. ヒバード、E. S. カーブ、F. トーマスら外国人教師は同志社を引き上げ帰米(デントンのみ留まる)
    4. 日本基督教団発足
    4.1 女子部正門内に門衛詰所を設置
    4.14 文部省の指示により女専学友会を解散し、報国団の結成式。総務部・教養部・錬成部の3部構成
    4.17 京都府特高課より朝鮮および台湾出身生徒調べの通牒
    6.6 デントン来日52年を記念してアメリカ太平洋婦人伝道会より寄贈されたパイプオルガン(アメリカ:モーラー社製)の贈呈式を栄光館で挙行
    6.7 パイプオルガン演奏会(栄光館)、演奏:勝俣敏子(高女部教諭・女専講師)、合唱:女専・高女部生徒
    7.1 興亞奉公日挙式(1939年9月1日から毎月1日に設定されていたが、最初の記録)
    7.7 牧野虎次、第11代同志社総長に就任
    9.3 高等女学部報国団結成式を始業式に引き続き栄光館において挙行、式後下鴨神社参拝と清掃。女専は8日に結成
    10. 同志社防護団女子部分団規定制定(翌年2月に同志社女子部防護団規定と改称)
    10.18 女子部合同靖国神社遥拝式
    10.24 厚生館開館(大澤徳太郎の寄附)
    12.1 デントンは12月1日付官報に「指定外国人ヨリ除外ス」と記載され、在留を認められたが、8日開戦とともに特高警察の監視下におかれる
    12.8 太平洋戦争始まる。M. F. デントンに休職を命ず
    12.27 同志社第64回卒業式を戦時臨時措置として専門学校以上は繰り上げて挙行
1942 17 1.8 大詔奉戴式、ならびに始業式
    4.1 ジェームズ館を至恩館、プリンプトン寮を寒梅寮、アーモスト館を新島記念館、ハワイ寮を同志社梨木寮、キング寮を友山寮と改称
    4.21 女学校創立記念日当日、同窓会総会を開く予定であったが初空襲のため延期
    7.14 終業年限臨時短縮に伴い女専の授業料を年額12分の11徴収する旨申請したが、事情により12分の10に訂正
    9.24 女子専門学校繰り上げ卒業式を栄光館において挙行(1945年まで)
    11.28 新島先生遺品庫開館式。『新島襄書簡集』刊行(校友会)
    12.15 『同窓会報』第72号発行、戦時下のため紙の入手困難につき、以後は当分会報を休刊
1943 18 1.7 授業中外套着用許可、担任の許可があれば手袋も可。授業時間中一斉に手をこする時間を与える
    7.~ 防空壕、待避壕掘り(大学予科生が応援)
    9.11 同志社より荒鷲(航空兵)志願者数 
     
  大学 予科 専門 高商 中学
海軍 110 4 32 55 42
陸軍 80 12 30
    11.15 同志社男子学生出陣学徒壮行会。女子部も授業を中断して参加し、男子学生を見送る
1944 19 4. 女専新制度発足。英文科を「文科外国語科英語科」、家政科を「家政科育児科」および「家政科保健科」に改組し、従来4年制高等女学校卒業生のために設置していた1年制の英文科予科は、中等学校の学年短縮に伴って廃止される。新制度最初の入学生は英語科49名(ただし13名は予科より進学)、育児科74名、保健科145名
    4.8 飛行機「同志社号」献納式
    4.25 同志社防護指導部設置
    5.1 以後第1、第3日曜日を授業日とする
    6.14 高女部3年生 三菱重工業第二製作所(山科)に通年動員、壮行式
    7.1 高女部5年生 鐘淵工業京都工場(高野)に通年動員受入式
    7.1 鐘紡の要請により新島襄肖像写真を同工場に掲揚
    8. 無職未婚女子の動員体制が12~40歳に拡大され、女子挺身隊員として軍需工場などに動員配置
    8.10 女子部学徒動員出動壮行式を栄光館講堂で挙行。高女部4年生(186名)は兵庫県の三菱電機伊丹工場(兵庫県塚口町)に通年動員、現地の殉国寮に入寮
      毎月第1土曜日、同志社本部において戦捷祈願会開催
    10.18 高女部3年2組、京都精工(紫野)へ学徒勤労動員壮行会
    10.23 高女部3年生1,3,4組、鐘紡(高野)における受入式
    11.11 女専英語科2年生が第31海軍航空廠(京都府与謝郡栗田村)へ動員、現地の清明寮に入寮
    11.23 女専家政科2年生が三菱重工業京都発動機製作所(桂)へ動員
    11.26 同志社関係慰霊祭、生徒代表100名参列
    12.8 早朝大詔奉読式のあと警戒警報発令。この日予定していた女専・高女部合同のクリスマス礼拝中止(12月22日に実施)
1945 20 1.17 女専英文・家政1年(1944年5月入学)動員壮行式(栄光館)翌日三菱重工業第14製作所(太秦)に出動
    2.4 女子部防護団宿直開始
    3. 国民学校初等科を除き1年間原則として授業を停止するという決戦教育措置要綱を閣議決定
    3.16 高女部卒業式に「工場皆勤賞」「工場賞」を新設
    4.1 高等女学校発足、校長 石塚多。女学校はこれまで「各種学校令」によってきたが、文部省国民教育局中等教育課の指導に従い、「中等学校令」によることとなり、正課として宗教教育は不可能になった。礼拝は始業前に幼稚園舎で行う
    4.1 幼稚園休園(戦争で危険のため)。同窓会館は戦時中日本航空電気株式会社軍服ボタン付け作業場となる
    5. 校庭菜園を職員に割り当て
    5.28 女専学徒隊結成式
    5.30 男女中等学校生徒はこの日より京都府の指示あるまで授業停止の通知
    6.26 高女学徒隊結成式
    6.29 女専学徒義勇隊結成式(大隊長片桐哲校長)、各学科学級の呼称を中隊および小隊番号をもってする
    6.30 鐘紡京都工場に職場学徒隊結成式
    7.11 女専入学式。臨時時間割で12日より授業開始。午後、全同志社学徒隊結成式挙行。残留する全同志社在校生列席
    7.13 高女部4年を卒業した専攻科生、太秦青竜工場に出動
    7.24 女専、工場公休日を用い新入生歓迎音楽会の予定を空襲警報発令のため中止。高女は府学務課よりの指令でこの日より当分の間授業停止(8月7日再開)
    8.5 各工場公休日につき新入生歓迎音楽会を挙行。8月6日以後8月25日までの授業計画を伝達
    8.15 正午、終戦の詔勅放送。女専1年、神学館(現クラーク記念館)前に集合し詔勅放送を聴く
    8.17 高女、詔書奉読式(栄光館)
    8.20 女専家政科動員(太秦・桂)解除引き上げ
    8.21 女専英語科、第31海軍航空廠(府下栗田)離隊
    8.27 学校防空壕埋め作業開始
    9.1 女専は授業を開始したが、府学務課の注意を受けて6日から休業。高女学徒隊解散式。今月より日曜祭日は休業
    9.11 同志社終戦対策委員会を設置
    9.24 連合軍京都進駐に備えて全校生徒を召集し、女性としての注意事項を伝達
    9.27 女専3年生に卒業証書授与。10月29日卒業式
    10.6 高女、米軍進駐に備え2時半授業終了、3時半には全生徒帰宅完了
    10.15 女専の授業を再開。加藤さだ教授が進駐軍に対する心がけを訓示。新卒の170名中97名は動員中の学力不足補充のため設けられた研究科に進む(1946年3月29日修了)
    10.17 女専報国団を学友会に戻し、第1回学友会委員会。11月1日学友会発足
    10.19 牧野虎次総長が東上し文部省と交渉の結果、宗教教育は随意となり、復活を決定