学部の改組と定員増
1965(昭和40)年4月1日より、女子大学発足時の学芸学部の3専攻(英文学専攻150名・音楽専攻20名・食物学専攻90名)が組織改組により、英文学科・音楽学科・家政学科に発展した。同時に定員増も認められ、入学定員が英文学科250名・音楽学科25名・家政学科150名となり、入学定員165名、総定員660名の増加となった。その結果、全学定員は1,700名となった。この増加は女子大学の体質の変化を伴わざるを得なかった。
さらにこの年、栄養士課程の定員も80名から100名へ20名の定員増が認められ、1966年4月より食物栄養課程と呼ぶことになった。
1967年4月には、家政学部の研究体制を充実するため学芸学部の1学科であった家政学科を発展・拡充させて家政学部を増設し、家政学科(50名)と食物学科(100名)の2学科を置いた。その後、食物学科に管理栄養士養成の課程を置くことになり、1969年度より食物学科は食物学専攻40名と管理栄養士専攻60名に分けられた。1973年2月には、管理栄養士専攻を食品衛生管理者養成施設および食品衛生監視員養成施設として厚生省に指定申請を行った。
1976年4月からは家政学部の定員変更を行い、教育環境の整備につとめた。これは私立大学の学則上の入学定員と実入学定員の格差が大きく社会問題になっていたが、校地不足で改善が思うにまかせなかったところ、政令指定都市に所在する大学の校地については弾力的に取り扱う旨の通知(昭和50年8月25日付)を得て、本学も定員の適正化をはかり教育の効果を上げるため家政学部の入学定員をつぎのとおり変更した。
- 家政学科 60名(旧50名)
- 総定員240名(旧200名)
- 食物学専攻 60名(旧40名)
- 総定員240名(旧160名)
- 管理栄養士専攻 60名(旧60名)
- 総定員240名(旧240名)
1982(昭和57年)年4月には、音楽学科に専攻増を行い、従来の3専攻(ピアノ・声楽・バイオリン)から理論系の音楽学専攻、作曲専攻などを加え、声楽、鍵盤(ピアノ・オルガン・チェンバロ)、管楽器、弦楽器、打楽器、作曲理論、音楽学の7専攻とし、定員も25名から50名に増加した。
大学院の設置
1967(昭和42)年4月、英文学科に大学院(文学研究科英文学専攻)が設置され、翌年4月には食物学科に大学院(家政学研究科食物学専攻)が設置され、両学科に教員免許高校一級が与えられた。大学院は、深い学識と研究能力を養い、より高度で専門的な研究者として、文化の進展に寄与する女性の育成を目的に設置され、本学の教育研究体制にいっそうの発展と充実をみた。
さらに、同志社創立100周年を迎える1975年、大学院文学研究科英文学専攻に博士課程を設置した。これは関西の女子大学英文学科にさきがけて本学に博士課程が開設されたもので、大学院を修士課程から博士課程へと伸ばしていくことは学部の発展につながるとして、いよいよ研究教育体制の充実に力が注がれた。なお、博士課程の標準修業年限は5年であるが、本学では前期2年の課程(修士課程)と後期3年の課程(修士課程を修了後入学、博士号を取得する博士後期課程)に区分する「積み上げ方式」を採用した。
カリキュラムの改正
家政学科では、1974年度から児童・被服・家庭経営の三つの柱に重点をおいて性格を明確化し、将来家政学科を3専攻もしくは3学科にするための基礎づくりとする新カリキュラムに改正した。しかし、その後「工場等規制法」により、今出川校地の学科増設は規制され、1991年度から児童と福祉コース、生活と消費コースを設けるに留まった。食物学専攻は食品から調理までの課程を科学的に学ぶ調理学を中心とし、管理栄養士専攻はこれまでの栄養士課程を改編して栄養学を中心にその関連科目を学ぶ学科編成とし、教育内容の充実をはかった。
同時に一般教育のカリキュラムも、従来2年次までに履修した一般教育を3・4年次にも履修させて専門科目と楔型とし、原則的に自由選択制とした。
英文学科では、内外のさまざまな変化に対応するため、1982年4月からカリキュラムを(1)1年次の英作文を通年科目とし、二十余名の小クラスですべて専任教員がアドバイザーを兼ねて担当する、(2)学習科目の平均化をはかり、4年次ゼミを自由選択制にするなどの改正を行った。