二條家邸跡

同志社女子大学が所在する京都市上京区玄武町・常盤井殿町は、常盤井殿町遺跡という遺跡名で知られています。当遺跡はこれまで数回にわたる緊急発掘調査を行い、江戸時代を主として古墳時代からの幅広い時期の各遺構・遺物を検出しています。キャンパス東半部には、万治4年(1661)の火災を契機として当地に移転して以来、19世紀中頃(幕末)までの約200年間にわたり、二條家という公家の屋敷が存在しました。江戸時代の成果はこの二條家邸に関わるものです。

二條家邸初期の遺構(2007年度調査)

二條家

一條家・九條家・近衛家・鷹司家とともに「五摂家」と称される朝廷内で格式の高い家柄です。家名は、鎌倉時代前期に九條道家の二男良実が、二條京極に邸宅をもち二條殿と称したことに由来します。室町時代から武家とも密接な関係をもつ親幕府派で、幕末期には幕府寄りの政治的姿勢をとることになります。

発掘調査

これまで数度の発掘調査が行われましたが、2007年度の発掘調査では上下4層に及ぶ二條家邸の遺構面を検出しました。火災や賀茂川の洪水による痕跡も層位的に確認でき、洪水層を挟む上下2層の火災は、上層が天明8年(1788)、下層が延宝3年(1675)と文献史料との対比からも明瞭に把握することができました。遺構として注目すべき幾つかにまず幕末期の庭園遺構があります。南北約20mの巨大な人工池とその水位を調節するための集水槽等が検出されました。当時の漆喰造りの池としてこれほど大規模な施設は、京都での検出事例は他には聞きません。また二條家邸初期の遺構が極めて良好な状態で残っていました。礎石建物・砂利敷き道路跡・倉庫跡・竈跡・井戸等が見つかり、邸宅内の具体的様相を理解する上で重要な手がかりを得ることができました。

これまでの発掘調査で出土した二條家邸関係の遺物は、膨大な数に上ります。提示した資料はささやかなものではありますが、かつて当地にあった摂家二條家邸の様相を多少なりとも感じ取ることができれば幸いです。

  • 二條家邸初期の遺構(2007年度調査)
    二條家邸初期の遺構(2007年度調査)
  • 幕末期の庭園遺構(2007年度調査)
    幕末期の庭園遺構(2007年度調査)