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大学紹介 大学の精神

歴史概要

1876~1877年 「女子塾」時代

国禁を犯して脱国し、米国において10年間勉学にいそしんだ新島襄は、欧米文化の発展に「キリスト教」と「教育」が深くかかわっていることを確信します。
新島は帰国後の1875(明治8)年、「自由」「自立性」「良心」を尊重する人間を育成するため、同志社英学校(現・同志社大学)を創立します。そして、同志社英学校の開学当初から「社会の発展には女子教育を盛んにすることが不可欠」との考えを持ち、「女子塾」の開設を進めることとなります。
同志社女子大学の起源は、1876年、京都御苑内のJ.D.デイヴィス邸(旧柳原邸、現京都迎賓館の位置)内に開設された「女子塾」にあり、寄宿学校であったことから、「Kioto Home(京都ホーム)」とも呼ばれました。開学当初の生徒数は、12人。「女子塾」では米国人宣教師A.J.スタークウェザーを中心に、新島襄の妻・八重も教鞭を執っています。こうして、京都における最初のキリスト教主義の女子教育が始まりました。

新島襄と妻・八重

キリスト教主義による人材の育成を目指した新島襄と妻・八重。新島は妻を「八重さん」と呼び、対等なパートナーとして接した。新島八重は女子塾で女子教育を担った。

A.J.スタークウェザー

A.J.スタークウェザー

女子塾開設の中心になったA.J.スタークウェザー。米国の伝道団体より派遣され、ここで教鞭を執る。その指導は厳格だったが温情にあふれていたという。

女子塾開設当初の生徒

女子塾は京都御苑内のJ.D.デイヴィス邸(旧柳原邸、現京都迎賓館の位置)に開設された。1877年には「同志社女学校」となり、二條邸跡(現在の今出川キャンパス)に校舎を設けた。地図は、その位置関係を示している。

J.D.デイヴィス邸(旧柳原邸)

女子塾開設当初の生徒は、寄宿生4人を含む計12人だった。写真は当時の生徒の様子。

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1877~1912年 「同志社女学校」時代

1876(明治9)年、J.D.デイヴィス邸(旧柳原邸、現京都迎賓館の位置)に誕生した「女子塾」は、1877年4月に「同志社分校女紅場(にょこうば)」と名称変更します。校長に就任した新島襄は、「良心を手腕に運用する人物の養成」の教育理念を女子教育の分野で展開します。
しかし、女子の才芸知識の開達を通して上記の目的を実現しようとするのに対して、京都府勧業課はそれを子女の勧業授産を要とする女紅場の名称にふさわしくなく、府下人民をまどわすものと学務課に申し立てます。このことから、5カ月後の9月に「同志社女学校」と改称します。
その後、翌年には校舎を上京第十一区今出川通(現・今出川キャンパス)に移転します。
新島の同志社女学校には、日本社会の女子教育の問題を見据え、「女学校生徒に人権を重んずべき事と慷概心を起さしむる事」への期待と、女性たちが「世の改革者、いや、改良者」となることへの希望が込められていました。

上京第十一区今出川通に移転後の校舎

上京第十一区今出川通(現・今出川キャンパス)に移転後の校舎。米国のキリスト教婦人団体の募金により1878年7月に竣工した。京都で一番古いキリスト教主義女学校で、当初から国際性を備えていた。

同志社女学校時代の生徒たち

同志社女学校時代の生徒たち。写真は1878年頃の様子。

女学校第7回卒業式(1889年6月)の様子

女学校第7回卒業式(1889年6月)の様子。外国人教員もおり、当初から国際色豊かな校風だった。
最後列右から三番目が新島襄。その右が八重。

M.F.デントン

1888年の来日以来、59年間にわたり同志社女学校、女子専門学校の教育に貢献したM.F.デントン。

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1912~1949年 「同志社女学校専門学部、同志社女子専門学校」時代

「同志社女学校」は1912(明治45)年に専門学校令により「同志社女学校専門学部」となり、英文科と家政科が設置されます。教育理念である「国際主義」「リベラル・アーツ」などが示すように、当時より家政科では英語を活用した講義が行われていました。また、英文科の卒業旅行は満州朝鮮で行われていました。 1922(大正11)年には女性初の校長として松田道(みち)が就任。常に生徒の人格を認めて自覚を促す姿に、生徒たちは大いに感化されたといいます。開学当初12人だった生徒は、1927(昭和2)年には高等女学部も含めて1,449人に達するまでになります。その後1930年には、「同志社女子専門学校」と改称。タイプライティングの授業が行われるなど、先駆的な女子専門教育が行われていました。
専門学部発足により順調な発展を続けますが、1930年代の不況と戦時下体制の逆風に向かっていくことになります。

松田道(まつだ・みち)

1922年に初の女性校長に就任した松田道(まつだ・みち)。同志社女子専門学校の初代校長も務める。

同志社女学校専門学部時代の家政科の授業の様子

同志社女学校専門学部時代の家政科の授業の様子(1915年頃)。黒板は英語で書かれており、当時から国際的な講義が行われていたことが伺える。

1928年に実施された卒業旅行の様子

1928年に実施された卒業旅行の様子。当時の満州・奉天北陵にて。

同志社女子専門学校時代の生徒の様子

同志社女子専門学校時代の生徒の様子。和服と洋装の生徒が確認できる(1932年頃)。

  • タイプライティングの授業

    タイプライティングの授業。当時から先駆的な専門教育が行われていた(1937年)。

  • 第二次世界大戦下の生徒

    第二次世界大戦下の生徒。左は軍事訓練の様子で、銃を持つこともあった。右は防空演習の様子。

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1949年~2000年 「同志社女子大学」時代

第二次世界大戦後の1947(昭和22)年、教育基本法とそれに基づく学校教育法が公布され、6・3・3・4制の学制が発足することになりました。「同志社女子専門学校」はこれを受けて、1949年に「同志社女子大学」となります。初代学長には、E.L.ヒバードが就任。学芸学部のなかに英文学専攻、音楽専攻、食物学専攻の3専攻を設けるかたちでスタートしました。1952年には食物学専攻を家政学専攻へ改称、1965年には3専攻をそれぞれ学科に改組します。また1967年には、家政学科を発展的に解消して家政学部を新設しました。
1986年には田辺キャンパスを開設。同時に開設された短期大学部とともに2キャンパスによる新たな歴史がスタートしました。その後、音楽学科、英文学科(現英語英文学科)、1989年に開設した日本語日本文学科が田辺キャンパス(1999年に京田辺キャンパスに改称)を学びの拠点としました。

E.L.ヒバード

同志社女子大学の初代学長を務めたE.L.ヒバード。宣教師夫妻の娘として東京で生まれ、米国で教育を受けた後、1929年に宣教師として同志社女学校に派遣される。1949年に同志社女子大学の初代学長に就任。リベラル・アーツ教育に心血を注いだ。

第1回シェイクスピア・プロダクションの様子(1951年)

第1回シェイクスピア・プロダクションの様子(1951年)。現在も英語英文学科のカリキュラムとして行われ、60年以上の歴史を持つ。

今出川キャンパス・ジェームズ館前の芝生

今出川キャンパス・ジェームズ館前の芝生での語らい。写真奥に見えるのは栄光館。現在この場所には、地下式の図書館がある。

LL(Language Learning)授業の様子

完成間近の京田辺キャンパス(1986年)。現在の京田辺キャンパス内にある聡恵館(そうけいかん)、友和館などの姿はまだない。

完成間近の京田辺キャンパス

創立111周年記念事業で建設された新島記念講堂(1988年)。

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2000年~6学部を有する総合大学へ ~いつの時代も、新しきを生きる~

 2000(平成12)年以降は、社会の動きや現代女性のニーズの多様化に対応すべく、現代社会学部社会システム学科を皮切りに情報メディア学科、現代こども学科、薬学部、国際教養学科、表象文化学部の開設と短期大学部の廃止。そして2015(平成27)年には看護学部を京田辺キャンパスに新たに開設。これにより現在は6学部11学科1専攻科4研究科を擁する日本有数の女子総合大学となり、知性豊かで志の高い、自立した女性を育成 し、社会の要請に応えていきます。
 1876(明治9)年の創立からまもなく140年。時代とともに大きくその姿を変えてきた同志社女子大学ですが、「キリスト教主義」「国際主義」「リベラル・アーツ」これら3つの教育理念に基づく教育は、現在も脈々と受け継がれ、未来へとさらなる発展を続けています。

ファウラーチャペル

新島記念講堂内 大ホール

本学では、開学当初から現在に至るまで毎日の礼拝が行われている。左は今出川キャンパスの栄光館内にある1,600人を収容可能なファウラーチャペル。右は京田辺キャンパスの新島記念講堂内にある900人収容の大ホール。どちらも立派なパイプオルガンが設置されており、礼拝時には壮厳な雰囲気をかもし出す。

第1回シェイクスピア・プロダクションの様子(1951年)

創立125周年記念事業の一環として友和館を竣工(2000年)。

今出川キャンパス・ジェームズ館前の芝生

薬学部第1期生による人文字(同志社徽章)。

第1回シェイクスピア・プロダクションの様子(1951年)

表象文化学部開設に伴い、2008年秋、今出川キャンパスに新純正館を竣工。

今出川キャンパス・ジェームズ館前の芝生

京田辺キャンパスの中庭Vinculum(ウィンクルム)の庭が完成(2010年)。

新真館画像

食物栄養科学科の教育・研究に対応した機能性の高い学舎で、実験室・実習室、研究室等が配置されています。2015年度に竣工。
(新心館)

蒼苑館画像

看護学部関連棟の蒼苑館が2015年に竣工。